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2008年2月12日 (火)

学校給食を申し込む?

2月6日の茨城新聞1面に「水戸市 全保護者に確約書 給食費滞納 『提供中止、異議唱えず』」の見出し。記事を読んで、「ここまできたか・・・」と思ってしまいました。

各学校を通じて保護者に配られるという「学校給食申込書」には、

▽給食費を遅れずに納入すること

▽万一遅れた場合、誠意をもって未納金を納入すること

▽滞納した場合、特別な事情がない限り給食の提供を中止することに異議はありません

―と書かれていて、保護者はこの内容を学校と教育委員会に約束する意味で署名・押印し、学校に提出するようです。

この記事を読んでから1週間。私の息子の学校ではまだ配られていないようで、持ち帰ってきていません。すでに配布されたお母さんに、先日その内容を見せてもらいました。

今日は、教育委員会で担当になっている学校教育課の課長さんから、申込制度を導入するにいたった目的や経緯も伺いました。

義務教育は無償とされているのに、なぜ給食費は保護者の負担があるの?

率直な疑問だと思います。私も今回調べて初めて読んだ「学校給食法」なる法律に、給食にかかる経費のうち、自治体負担と保護者負担の内容がそれぞれ明記されてるんですね。

(学校給食法→http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S29/S29HO160.html

保護者は基本的に食材費を負担するとのこと。息子の給食費は月々4,300円なので、1食あたり200円ちょっとという計算。

息子の場合、卵アレルギーに対する代替食まで対応していただいて、本当に助かっています。

ただ、息子いわく「食べる時間が15分しかなくて、全部食べれない時がある」とのこと。そういえば、入学説明会で「食事は20分で食べれるように」と言われましたっけ・・・。

話がそれましたが、もちろん我が家では、今までも、これからも給食費は払うつもりです。それでもやっぱり、この「申し込み」というのには釈然としない気持ちが湧いています。

何より、親が給食費を払わないといって、子どもに給食を食べさせないなんてことが本当に教育の現場でできるんでしょうか。クラスの中で、他の子どもは給食を食べているのに、ある1人だけに給食を配膳しないなんてできるんでしょうか。

子どもとの信頼関係をつくろうと一生懸命努力し、子どもたち同士の仲間意識や一体感をつくろうと頑張っている担任の先生は、このことをどう思っているのでしょう。滞納している家庭への連絡や徴収も担任の先生が担っているだけに、心が痛みます。

「払えるのに払わない」と言われる家庭も、ひとつひとつ見れば事情は様々。給食費だけの問題にとどまらず、借金の返済などで家計そのものが成り立たない家庭も増えているように思います。

息子が学校から申込書を持ち帰った時には、また申込書とにらめっこして考え込んでしまいそうです。息子ともじっくり話し合わなくちゃ。

良くも悪くも給食の思い出は、誰の心の中にも印象深く残るものです。

子どもにとってどうなのか―。

そのことをいつも大切にしていないと、大人社会はどんどんゆがんでいきそうです。

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コメント

水戸市内の教諭が児童の給食費未納をクラス全員の前で公表したことが問題視されています。たしかに児童は衆人環視の前でいやな思いをしたでしょうね。しかし、それを理由にこの教諭を攻める気にもなれません。本来、教育行政がやるべき徴収の仕事を、現場の教師に押しつけていたことこそ本質的に問題視されるべきなのです。それゆえ思わず言ってはいけないことをポロリといってしまった、というのが真相と思います。他方、水戸市は給食費を払わなければ給食の止める、それに異議を出させないことを保護者に誓約させようとしています。さて、その状況を想像すると寒々しい教室の光景が目に浮かびます。食べられない子を尻目に先生や友達は平然と食べていられるの。むしろ給食費未納を公表したほうが正常にみえてしまいます。何か水戸は異常ですね。意味も分からず水戸を世界遺産にするといって空騒ぎしてみたり、さらに水戸を盛り上げると言って「桜田門外ノ変」(この事件は刀で人を公然と切りつけることのあった江戸時代でさえ、社会を恐怖させたテロ事件だったのです)の映画化を市長が先頭になって支援するなど、冷静に考えればとてもできないことです。水戸は「テロ支援都市」、などという有り難くない名称をつけられたくありません。

投稿 懐古堂 | 2008年3月 7日 (金) 04時23分

懐古堂さんの最期の言葉「テロ支援都市」という言葉にドキッとしてしまいました。日常のなかで一つ一つ進んでいる事柄は、ともすると自分の生活に直接関係ないように思えても、根っこではつながっているということが多いですね。
国の動きのように、水戸市に当てはめても単なる文化活動や学校現場の話しに終わらない、歴史や教育をどうとらえるのか、人間社会の将来をどう描いているのかが問われると思います。
議会の中でも、水戸市が世界遺産をめざすことも、給食費の滞納問題も、議員一人ひとりの価値観や歴史観によって、とらえ方が180度違うことも様々。
だからこそ最大限に意見を述べ合う場が保障されなけらばならないと感じます。
そうじゃなくて、“何でも多数決で決めれば、それが民主主義”という風潮は戒めなければなりませんね。

投稿 kana ejiri | 2008年3月 7日 (金) 15時57分

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