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2011年3月26日 (土)

yuika★卒園おめでとう

地震から2週間たった今日、yuikaの卒園式が無事に終わりました。できるのかな?と心配もしたし、いつもの年より短縮バージョンだったのは残念でしたが、つばめ組26人の子どもたちの笑顔smileがいっぱい(お別れが悲しくて泣いちゃった子weepもいるけど)の、ステキな卒園式でした。

Img_3465_5 ホールには子どもたちが描いた絵が飾られていました。yuikaの絵は「おおきなきがほしい」。

園からいただいた卒園証書、担任の先生が作ってくれた卒園アルバム、保護者が作った卒園文集、このあと出来てくる父母の会作制の卒園式DVD。そして子どもたちの歌とリズム。先生からのメッセージ。

そのどれもが大切な宝物shineです。

Img_3460_3 卒園式の洋服にと、yuikaには内緒で用意しておいた紺のジャケットとチェックのパンツ。気に入ってくれたみたいです。胸に付けた赤い★に“おめでとう”の思いを込めて。

卒園式の後に開いた謝恩会も、感動でした。

謝恩会の会場にと借りていた市民センターが利用できなくなり、一時は謝恩会できないかも?と気落ちしていましたが、あるママが頑張って手配してくれて、近くのお店で開けることに。

Img_3471_4 おいしいお料理に、“つばめ”をデコレートしたBigケーキ、極めつけはサプライズのメッセージビデオ。

子どもたちを担任してくれた3人の先生(先輩保育士から順にmami、saaya、kahori)のうち、saayaちゃんが先輩のmamiちゃんに贈る感謝のメッセージだったのです。

まだ幼くて可愛いかった子どもたちが、どんどん逞しく成長していく保育園での写真が次々と映し出され、先生たちとの奮闘、成長、楽しい思い出がよみがえり、私たち親も感動の涙weep。当然、mamiちゃんは後輩からのサプライズに号泣でしたcrying

あらためて3人の先生と保育園、そしてたくさんのお友達、保護者のみなさんに感謝の言葉を。-ありがとうございました。本当にお世話になりましたpen

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2011年3月24日 (木)

市役所にブルーシート山積み

地震で落下した屋根瓦や、倒壊したブロック・大谷石塀の無料撤去・回収を市災害対策本部に要望に行ってきました。(申し入れの内容はHP・活動日記をご覧下さい)

話し合いが終わり、市民会館に来たついでに支援物資として届いているブルーシートを少し持ち帰ろうと思って副市長に声をかけたところ、思わぬ返答が。

「もう市民には配布していません」

?と思い、理由を尋ねると「市で使うから。崖崩れの補修とか」

???

そこで、支援物資が保管されている市役所庁舎に入ってみると、山のように積まれたブルーシート。市で使ったとしても使い切れないほど、全国の自治体から届いたブルーシートが目の前に積まれているのです。

Img_3458_2

これ全部、ブルーシートです。箱に入っているのも。

屋根瓦が崩れ落ちてブルーシートで応急処置している家々が市内のあちこちに。そのなかにはブルーシートがなくてビニールで覆っていたり、いまだにそのままにされている家も目にします。

私の事務所にも「ブルーシートが欲しい」という声が寄せられます。

そんな方たちのために、少しでも持ち帰ろうと思ったのに、この市の返答。

支援物資の目的は、困っている市民に、必要としている市民に配布することではないでしょうか。市民を後回しにして、「市が使うから」というのは優先順位が違うでしょ。

他にも、紙オムツ、カップラーメン、トイレットペーパー、飲料水などなど、たくさんの支援物資が倉庫と化した市役所に保管されているのです。

水戸より物資が不足している被災地に、水戸市から転送するならまだ理解できますが、紙オムツやカップラーメンも「市で使うから」?

これでは支援物資を送っていただいた全国の自治体に申し訳ありません。

早急に、必要としている市民に配布するよう申し入れてきます。

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2011年3月22日 (火)

あったかいありがたさ

水戸市ではまだ11ヶ所の避難所が残されているとのこと。今日はいくつかを訪ねてまわりました。

いまでも避難所に身を寄せている方たちは、帰りたくても帰れない事情がある方ばかり。たくさんのお話しをお聞きしました。

ある市民センター(公民館)では、市の保健センターから保健師さんが来られて、避難者の方一人ひとりに健康状態をうかがったり、血圧を測ったりしていました。

市では各避難所をバスで巡回し、入浴施設に送迎もしているそうです。避難所ではありませんが、老人福祉センターにも行ってみました。お風呂に入りに来ている地域の方が、職員の方たちと「顔を見れて安心したよ」と声を掛け合っていました。

まだ水が出ない隣町からもお風呂に入りに来る人が多いようです。お風呂は体があったまるだけでなく、心も癒されます。

私も、水は出るのに電気がつかない。お風呂にお湯が入れられないという状態が続いて3日目。真夜中に電気が復旧して、まず始めにしたことは、お風呂に入ることでした。

あったかいお風呂と、あったかいごはん、そして、あったかい人の思いやり。その、ありがたさを感じながら、被災地の方がせめてもの足湯にそろりと足を入れて「しあわせ~」と漏らしている姿に、思いを寄せずにはいられません。

こうしてブログを書いている今も、また揺れています。余震がまだまだおさまりません。

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2011年3月18日 (金)

思いを力に

地震から1週間。水戸市のすべての小学校で卒業式が行われました。体育館が使えない学校も多く、各教室や音楽室、運動場で式を行った学校もありました。

息子が通う学校の体育館は、去年の夏にちょうど耐震化工事が終わったばかりで、天井材の一部が落下しただけで、無事、卒業式に使えることになりました。

私もPTA会長として式に参列。卒業生が入場して、保護者に見守られるなか卒業証書の授与。校長先生の式辞のあと、私も祝辞を述べました。

こういうときだからこそ、みんなで心から卒業生を祝福したい-そんな思いで語りました。

「今日、小学校を卒業される6年生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。保護者の皆さまにも心からお祝い申し上げ、これまでのPTA活動への参加、ご協力に感謝申し上げます。

あの大変な地震から1週間。まだ余震が続く日々ですが、あの日、6年生のみなさんをはじめ、多くの子どもがこの学校で地震にあいました。先生方の懸命な誘導により、大きなけがもなく校庭に避難できたこと。私たち親がどれだけ安堵したことでしょうか。そして、今日の卒業式を無事に迎えることができたことを、ここにいる私達みんなで喜び合いたいと思います。あわせて、東北の多くの子どもたち、被災者の方々が、今なお厳しい環境にさらされていることに、深く深く思いを寄せたいと思います。

卒業生の皆さん。みなさんは、生まれてまだ12年という人生の中で、大変な経験をしました。立っていられないほどの大きな揺れ。電気もない、水もない、電話も通じないという真っ暗な夜を、家族で身を寄せ合ってロウソクの明かりを見つめたことと思います。車の中で夜を過ごした人もいると思います。

今日、この卒業式の会場になっている寿小の体育館も、地域の避難場所となりました。当日の夜には、200人を超える方がここで夜を明かしました。地域の方々は必至に発電機で明かりを灯し、水を求め、食べ物を求め、炊き出しを行いました。不便な生活が続いていますが、家族の絆、地域の結びつきの大切さを、卒業生のみなさんも心に感じていることと思います。

そして、校長先生や6年生の担任の先生をはじめ、先生方の懸命なご努力と「みんなを立派に送り出してあげたい」という思いによって、今日の卒業式を挙行することができました。心から感謝申し上げます。

ひときわ、たくさんの「思い」が集まった今日の卒業式です。私は「思いは力になる」と信じています。「思い」とは「将来の夢」でもあります。先日、各家庭に配られたPTAの会報誌には、6年生の皆さんの「将来の夢」が一人ひとり書かれていました。サッカー選手、プロ野球選手、保育士、パティシエ、建築家、お笑い芸人などなど、たくさんの夢が並んでいます。「こうなりたい」という思いを力にして、友達を大切に、家族を大切に、そして自分も大切にして、楽しい中学校生活をスタートさせて下さい。みなさんの成長を、活躍を心から期待し、祝辞といたします。」

さいごに、卒業生がステージに並んで『旅立ちの日に』を合唱。

Img_3437_3 

「勇気を翼に込めて 希望の風に乗り この広い大空に夢を託して」

きっと忘れられない卒業式になったと思います。

  

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2011年3月14日 (月)

巨大地震

地震から3日目の夜、3月14日に日付が変わった深夜12時すぎに、ようやく我が家の停電が復旧して、電気が使えるようになりました。

この後も、計画停電が実施されるようなので、まずは携帯ラジオや携帯電話の充電をしながら、ラジオ情報に聞き入りました。

これからの、食料はじめガソリンや灯油、医療の供給がどうなるのか心配はつきません。

12日は一日、小学校の避難場所の様子を伺ったり、市の対策本部から情報を集めたり、地域を訪問したりしながら、夕方には市に地域住民の要望を伝えて、また小学校体育館に戻りました。

地域の方々の懸命な、そして献身的な行動で、避難者や訪問者にあたたかいうどんやそばが提供されていました。小学校の水や電気も12日夜には復旧したようです。

その後、家に戻る途中から真っ暗な停電地域に入り、案の定、真っ暗な我が家で夫と子どもたち3人が待っていました。

2歳のkouseiは、地震当日の夜は「でんきつけてよぅ・・・」と言っていましたが、昨夜は「みみがいたいよぅ」と泣き、腫れているところをみるとおたふく風邪にかかってしまったようです。

yuikaも咳が続いて微熱、kenntoは吐き気をもよおして熱にうなされて寝ています。子どもたちもストレスで体調不良のようです。

少し安心させてあげないとと思い、13日は子どもたちと過ごしました。

14日の午後2時には、市議が対策本部(市民会館2階に設置)に集まることになっています。

学校や保育園は休みですが、いつから再開されるのか、給食提供のめども立っていません。

なによりも、病院や介護施設、障害者施設、ひとり暮らしの高齢者、赤ちゃんやお年寄りの介護を抱える世帯、病気の方々への支援に、力をあわせて取り組むしかありません。

宮城県や福島県で、いまだ取り残されている、孤立状態になっている多くの方々が、1人でも多くの命が救われることを願ってやみません。

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